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「子どもに夢を」(国際キワニス日本地区の歌)の完成

平成 29年 7月 吉日
国際キワニス日本地区ガバナー
藤原武平太

昨秋の日本地区九州ディビジョンの会合で、「日本地区全体のキワニスソングを制定すべし」という提案がありました。

そこで、小生から、作詞を東京キワニスクラブの元会長で現会員でもある横川 端氏にお願いしました。 横川氏は、ファミリーレストラン「すかいらーく」の創業者で、お若いころ「フォークダンスの盆踊り」という NHKの募集に入選した歌の作詞者でもあります。

作曲は、小生の長年の友人で、現代日本を代表する作曲家の三枝 成彰氏にお願いしましたところ、快諾していただきました。 彼は、来る10月末公演のオペラ「狂おしき真夏の一日」の作曲の真最中でしたが、この6月には完成していただきました。 さらに、無報酬で、ボランティアとして曲を提供していただき、また、ピアノ伴奏入り歌唱のCD、ピアノ伴奏のみのCD、楽譜及び 歌詞の4点セット一式を寄贈されました。深謝に堪えません。

素晴らしいソングが出来上がりました。

ここに、ピアノ伴奏入り歌唱のCD、楽譜及び歌詞の3点セットを掲載します。

皆でこの歌とともに、世界の子ども達のために頑張りましょう!

~「子どもに夢を」 キワニスクラブ日本地区の歌が生まれるまで~

2017年 7月
東京キワニスクラブ元会長 横川 端

2017年1月早々、キワニスクラブ日本地区ガバナー藤原武平太さんから突然お話があった。
「日本地区としてキワニスソングを作ります。横川さん作詞をしてくれませんか」とおっしゃる。
「えっ どうして私ですか」思わず私は声を上げた。
藤原さんは次のような理由を述べられた。

昨年秋、日本地区の九州ディビジョン会議でキワニスソングの制定が発議され、関係者と相談した 結果、今年度中にぜひ実現したいとなった。 以前ソングの制定を検討したが、他の事案があって頓挫し、そのままになっている。
そこで藤原さんは、まず作曲をどなたにお願いするかを考えられた。 そして持ち掛けたのが、著名な作曲家三枝成彰氏である。藤原氏と三枝氏は趣味を通じての昵懇の間柄だった。 「ボランティア活動のキワニスクラブでは十分な作曲料も払えませんが」という条件もつけて。
三枝氏は、快く引き受けて下さった。 で次は作詞を誰にしようかとなり、これは、藤原ガバナーの通産省の先輩で俳句を趣味にしている 東京キワニスクラブ会員の有岡恭介さんに依頼してみた。 その有岡さんは、私より作詞の経験がある横川さんをと推薦された。

有岡恭介さんと私は俳句を通じてのお付き合いがあり、句集を交換し、私家版の自伝も差し上げていた。 その自伝の中に、はるか昔NHK田園ソングの募集に入選し、放送された詞が載っている。

一方私は三枝さんとは長く交流があり、多くの接点があった。 東京交響楽団との関係はもとより、亡くなった弟の茅野 亮は六本木合唱団で随分お世話になった。
私の愚息潤は三枝さんのボランティア活動の会のメンバーである。
最初藤原ガバナーからの指名をいただいたときには、一瞬呆然とした。 が、ふとこれは私の人生にしばしば起こった、不思議なご縁の一つかもと思い返した。
家内は、私の高齢を心配してお受けしてご迷惑をお掛けしてはとやや消極的ではあった。

前向きに検討しますと藤原さんにメールでお答えしてから、三枝さんに面談をお願いした。 オペラ「狂おしき真夏の一日」の作曲で多忙な中、三枝さんはお会いするなり「作詞をするのはお父さんですか。 息子さんが見えるのかと思って」と笑われた。愚息は物書きではあるが作詞は全くしない。
対象は誰に向けてでしょうか。
完成希望の期日はいつですか。
三枝さんはそれをまず確認された。
そして「近頃はこの様な場合先に曲を作ってから、後で詞をつけるのが主流です。」とおっしゃった。
私にとってそれは初めての体験であり、その具体的方法も知らない。どちらもできなければと一抹の不安を抱いた。
藤原ガバナーの「在任中に完成しその普及のため、ゴールデンウイーク明けまでには」のご意向で暫く私は待機することになった。
ただ待つのみでは不安は募る。取り敢えず詞を作ろうと、まず最近の歌詞の傾向や作詞論の書籍などを漁って読みながら、まず 一編をまとめ試案として藤原ガバナーに見ていただいた。「キワニスの要点を抑えてあり、悪くないですよ」と言っていただいた。 まだ時間があるのでさらに二編を綴ってみた。これも藤原さんに見ていただいた。 しかし答えは「最初の詞が一番明快でいいです」とのことであった。 それでも三枝さんに三篇ともご参考にとメールでお届けしておいた。

忙しい合間を縫って三枝さんは三編に目を通されて、二番目の詞で作曲していいですかとメールをいただいた。
そこで、実は藤原さんは一番目を最初から推して下さっていますとメールでお答えした。

暫くして三枝さんから以下のようなご意向をいただいて、ついに決定を見たのであった。
「わかりました。一番目の詩を少し修正しましょう。出だしは三節とも‘‘さあ行こう‘‘で統一する。 一節と二節三節を入れ替えることにしましょう。」

これでひとまず私の務めは終わり、肩の荷を下ろした。

6月8日藤原ガバナーから「できました」とのご連絡をいただき、ご一緒に三枝さんのオフィスに伺うことになった。
三枝さんからは作曲に当たって修正を加えた理由の説明をメールで頂戴した。 それは「メロデイを書く上で、語感が良くなり統一感が出るからとの判断によりました」とのことであった。
6月15日夕刻、メイコーポレーションのオフィスに伺って、三枝さんから出来立てほやほやのCDを聞かせていただいた。 予感はしていたがやはり胸が熱くなった。
藤原さんはキワニスクラブを代表してお礼を差し上げるべく用意されたが、三枝さんは固く辞退された。 およそ半年間、オペラの作曲に精魂を傾けてから
わがキワニスの歌と取り組まれたご労苦に、ただただ感謝と感動であった。

さあ、これを会員のみなさんに歌っていただいてスタートとなる。 藤原ガバナーは準備を整え、ご夫人が歌唱指導、ピアノ伴奏は漆間会員にお願いされた。 そして6月30日東京キワニスクラブ例会のあと、午後1時30分初練習となった。
楽譜が用意されたので、あちこちから初見で口ずさむ声がさざ波のように聞こえてきた。

好評で迎えられたと思い、ほっとして私は万感を胸に役目を終えた。

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